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木村威夫 氏(きむらたけお)

映画監督、美術監督[日本]

2010年 3月21日 死去間質性肺炎享年93歳

木村威夫 - ウィキペディアより引用

木村 威夫(きむら たけお、1918年4月1日 - 2010年3月21日)は、日本の美術監督、映画監督。
東京都恵比寿出身。
日本映画・テレビ美術監督協会顧問、日本映像美術協議会JVA賞審査委員長、日活芸術学院学院長、映画美学校理事、東京工芸大学芸術学部客員教授、京都造形芸術大学映画学科准教授を務めた。
人物[編集] 2003年7月 十代の頃より、舞台美術監督伊藤熹朔に師事。
1941年、日活に入社。
しかし、翌年に日活は新興キネマ、大都映画と合併して大映となる。
『海の呼ぶ聲』(1945年 / 伊賀山正徳監督、封切は終戦後)で美術監督に昇進。
1954年、映画製作を再開した日活へ移籍。
1963年、『悪太郎』をきっかけに鈴木清順監督作品の美術を担当、「清順美学」と呼ばれるその作風の創造に大きく貢献する。
1966年には、清順を中心とする脚本家グループ「具流八郎」を大和屋竺、田中陽造、曾根中生、岡田裕(当時、助監督。
後の映画プロデューサー)、山口清一郎、榛谷泰明とともに結成。
鈴木が日活から干された後はその復帰運動にも大いに尽力するが、多忙もあって復活後の鈴木作品においては、7本中2本を担当とかつての不動のコンビではなくなった。
日活がロマンポルノ製作へと転じた後、1972年にフリーとなる。
フリー第1作となる『忍ぶ川』で初めて熊井啓監督とタッグを組み、その後は1作品を除くすべての熊井作品で美術を手掛けた。
また、林海象など若手監督の作品にも ……

関連作品

木村威夫さんが亡くなってから、14年と126日が経ちました。(5240日)