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松尾昭典 氏(まつおあきのり)

映画監督[日本]

2010年 7月12日 死去肺炎享年83歳

松尾昭典 - ウィキペディアより引用

松尾 昭典(まつお あきのり、1928年11月5日 - 2010年7月12日)は、日本の映画監督。
略歴= 大阪府大阪市東区(現・中央区)伏見町出身。
3歳年下の弟は、宝塚歌劇団の演出家である柴田侑宏[1]。
京都大学文学部に入学後[2]、映画部に所属する。
同部員の同僚に映画監督となった土井茂と太田昭和がいた[3]。
大学を卒業後、松竹京都撮影所に入社[2]、松田定次らに師事した[4]。
その後、映画製作を再開した日活に移籍[4]。
同期の蔵原惟繕、神代辰巳も松尾と同じく日活へ後に移籍している[4]。
川島雄三、マキノ雅弘らの助監督を務め[4]、1958年に二谷英明主演の『未練の波止場』で監督デビューした[2][4]。
日本映画の黄金時代に活躍し、石原裕次郎主演の「清水の暴れん坊」「男が命を賭ける時」、吉永小百合主演の「風と樹と空と」などや高橋英樹主演の「霧の夜の男」『男の紋章シリーズ』に代表される任侠映画も監督、また石原裕次郎主演の『紅の翼』をはじめ、脚本作品も何本か執筆していた。
日活ムード・アクションの監督として高い評価を得ていた[4]。
1970年には日活を離れてフリーとなり[4]、土曜ワイド劇場(テレビ朝日)などをはじめとするテレビ映画やサスペンスドラマを演出していたが、2010年7月12日、肺炎のために死去[5]。
81歳没。
作品= 映画= 監督作品= 『風と樹と空と』(1964年) 『私、違っているかしら』(1966年) 未練の波止場(1958年 日活) 俺は挑戦する(1959年 日 ……

松尾昭典さんが亡くなってから、14年と354日が経ちました。(5468日)

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