高松宮宣仁親王 氏(たかまつのみやのぶひとしんのう)
皇族[日本]
1987年 2月3日 死去肺がん享年83歳
高松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905年〈明治38年〉1月3日 - 1987年〈昭和62年〉2月3日)は、日本の皇族、海軍軍人。
有栖川宮の祭祀を継承。
御称号は光宮(てるのみや)。
身位は親王。
お印は若梅(わかうめ)。
栄典は大勲位功四級。
大正天皇と貞明皇后の第三皇子。
皇長兄に昭和天皇、皇次兄に秩父宮雍仁親王、皇弟に三笠宮崇仁親王がいる。
第125代天皇明仁は甥、第126代天皇徳仁と秋篠宮文仁親王は大甥にあたる。
妃は公爵・徳川慶久の次女・喜久子。
生涯=
誕生=
1930年(昭和5年)7月14日、パリのアレクサンドル3世通りでフランス軍の観兵式を査閲(右から3番目)。
モナコ公ルイ2世、ドゥメルグ仏大統領らと。
1905年(明治38年)1月3日、当時の皇太子嘉仁親王(後に践祚して大正天皇)の第3皇男子として青山東宮御所で誕生。
幼称(御称号)を光宮(てるのみや)といった。
高松宮は四親王家の一つ、有栖川宮の旧宮号であるが、宣仁親王が有栖川宮の祭祀を継承したのには故がある。
1913年(大正2年)7月10日、有栖川宮第10代・威仁親王が後嗣・栽仁王に先立たれたまま薨去した。
皇室典範によって皇族の養子縁組が禁じられていたため、有栖川宮は断絶が確定した。
威仁親王が危篤となって以降7月6日、当時8歳だった宣仁親王に高松宮(有栖川宮家の旧称)の称号が授与され、有栖川宮の祭祀を将来的に宣仁親王に受け継がせることとなった。
7月 ……
高松宮宣仁親王さんが亡くなってから、37年と308日が経ちました。(13822日)