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秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)

皇族[日本]

(大正天皇の第二皇男子)

1953年 1月4日 死去享年52歳

秩父宮雍仁親王 - ウィキペディアより引用

秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう、1902年〈明治35年〉6月25日 - 1953年〈昭和28年〉1月4日)は、日本の皇族。
大正天皇と貞明皇后の第二皇子。
明治天皇の皇孫にあたる。
昭和天皇は兄、長弟に高松宮宣仁親王、次弟に三笠宮崇仁親王がいる。
第125代天皇明仁は甥、第126代天皇徳仁と秋篠宮文仁親王は大甥にあたる。
妃は勢津子(旧会津藩主・松平容保の四男で外交官を務めた松平恆雄の長女)。
御称号は淳宮(あつのみや)。
身位は親王。
お印は若松(わかまつ)。
日本陸軍の軍人でもあり、階級は少将。
勲等功級は大勲位功三級。
勢津子妃との間に子女はない。
来歴= 赤坂表町の秩父宮御殿 生い立ち= 東京・赤坂の青山御所(東宮御所)で誕生し、兄の迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)とともに、生後4カ月で皇孫御養育掛・枢密顧問官の川村純義(海軍中将伯爵)邸に預けられた。
1904年(明治37年)11月9日、川村の死去を受け兄宮とともに沼津御用邸に住まいを移した。
幼少の頃は兄宮、弟の光宮宣仁親王(後の高松宮)と共に育ち、年齢の近い3兄弟とも仲は良かったと言う。
兄弟の中では最も活溌であり、そのことは1つ違いの兄宮とよく比較された。
玩具の取り合いで兄宮と喧嘩し、先に手を出すことも多々あった。
しかし兄がいない時は小心であり、自ら「内弁慶であった」と、戦後に回想している。
祖父である明治天皇には「よく玩具を与えられた」と回 ……

秩父宮雍仁親王が亡くなってから、72年と33日が経過しました。(26331日)