朝倉 文夫(あさくら ふみお、1883年〈明治16年〉3月1日 - 1964年〈昭和39年〉4月18日)は、明治から昭和の彫刻家(彫塑家)である。号は紅塐(こうそ)。「東洋のロダン」と呼ばれた。位階は正三位。舞台美術家・画家の朝倉摂(摂子)は長女、彫刻家の朝倉響子は次女。
朝倉文夫が亡くなってから、60年と100日が経過しました。(22015日)