清水多嘉示 氏(しみずたかし)
彫刻家[日本]
1981年 5月5日 死去享年85歳
清水 多嘉示(しみず たかし、1897年〈明治30年〉7月27日 - 1981年〈昭和56年〉5月5日)は、日本の彫刻家。
長野県諏訪郡原村出身。
武蔵野美術大学教授、文化功労者、原村名誉市民。
来歴=
1915年、旧制諏訪中学(現在の長野県諏訪清陵高等学校)を健康上の理由で中退。
代用教員となる。
若くして画才を発揮、当初は画家を志していた。
1917年、岡田三郎助と藤島武二が設立した本郷洋画研究所で学ぶかたわら、中村彝に師事して下落合のアトリエを頻繁に通い、風景や人物を重厚な色彩とタッチで描いていた。
1919年、諏訪高等女学校(現在の長野県諏訪二葉高等学校)教諭を務めた。
二科展に入選。
(以後渡仏するまで毎回入選した。
)1921年、平野高等女学校、諏訪蚕糸学校教諭。
1923年、絵画を学ぶためパリに渡る。
「サロン・デ・テュイルリー」の展覧会でオーギュスト・ロダンの高弟(弟子)、アントワーヌ・ブールデルの作品と出会い感銘を受けた事によって、彫刻へ転向する。
ブールデルに師事し、サロン・ドートンヌへ絵画、彫刻を出品、1927年まで毎回入選。
アルベルト・ジャコメッティ、藤田嗣治、イサム・ノグチ、小山敬三らと交遊を持った。
1928年、帰国、1929年、帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)創設に参画し、西洋画科と彫刻科の助教授として教鞭を執る。
(1935年、校長北昤吉と学生らの対立より起きた同盟休校事件(学生ストライキが発生し、帝国美術学校よ ……
清水多嘉示が亡くなってから、43年と200日が経過しました。(15906日)