北白川道久 氏(きたしらかわみちひさ)
元皇族、元伊勢神宮大宮司[日本]
(旧・北白川宮道久王)
2018年 10月20日 死去急性肺炎享年82歳
北白川 道久(きたしらかわ みちひさ、1937年〈昭和12年〉5月2日 - 2018年〈平成30年〉10月20日)は、日本の旧皇族。
北白川宮永久王と同妃祥子の第1王男子。
北白川宮第5代当主。
皇籍離脱前の身位は王で、皇室典範における敬称は殿下。
皇族時代の名は、北白川宮道久王(きたしらかわのみや みちひさおう)であった。
北白川宮第5代当主。
男系では崇光天皇の18世子孫、女系では明治天皇の曾孫にあたる。
生涯=
1937年(昭和12年)5月2日午前9時53分、北白川宮永久王と同妃祥子の第1王子として、東京市芝区高輪の北白川宮邸で誕生。
1940年(昭和15年)9月4日、父宮・永久王が事故により薨去。
わずか3歳で北白川宮家を継承。
未成年のため終戦時の宮家の当主の中で唯一の非軍人だった。
その後、三年祭(三周忌)頃まで、妹の肇子女王とともに「北白川宮の遺児」として社会的注目を受ける。
第二次世界大戦における日本の降伏後は、皇統護持作戦で保護の対象となる(作戦は中止)。
1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により、祖母・房子(明治天皇第7皇女子周宮房子内親王)や母、妹とともに皇籍離脱。
以後は、「北白川 道久(きたしらかわ みちひさ)」と名乗る。
1960年(昭和35年)に学習院大学政経学部卒業後、東京芝浦電気に入社、東芝国際交流財団専務など歴任し、2000年(平成12年)に定年退職。
1959年(昭和34年)秋、ミッチー・ブームの最中、お妃候補と目さ ……
北白川道久さんが亡くなってから、6年と32日が経ちました。(2224日)