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桑沢洋子(くわさわようこ)

ファッションデザイナー[日本]

1977年 4月12日 死去享年68歳

桑沢洋子 - ウィキペディアより引用

桑沢 洋子(くわさわ ようこ、1910年11月7日 - 1977年4月12日)は、20世紀の昭和時代に活動した日本のファッションデザイナー。
桑沢デザイン研究所および東京造形大学の創立者で、服飾から生活全般にわたる分野において「産業デザイン」を提唱した。
桑澤洋子と表記されることもある。
来歴= 東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区)に出生。
1928年に女子美術学校(現在の女子美術大学)師範科西洋部へ入学、1932年に卒業。
1933年に新建築工芸学院へ入学しバウハウスの思想に触れた。
写真家の田村茂と1934年に結婚するも、1951年に離婚。
新建築工芸学院の川喜田煉七郎に紹介され東京社の編集に携わる。
1937年に婦人画報社(現在のハースト婦人画報社)の前身にあたる東京社へ入社。
雑誌社でジャーナリズムに触れ女性の社会進出、職業婦人が活躍する将来に向け衣服による生活改善、勤め先に着ていける服装の制作を提唱した。
1941年に服飾デザイナー伊東茂平のもとで洋裁技術を修行。
翌1942年に東京社を退職し桑沢服飾工房を設立。
服飾デザイナーとして活動を始める。
1945年、婦人画報誌などで服飾デザインについての執筆を開始。
1948年に服飾デザイナーの職能団体「日本デザイナークラブ」の結成にメンバーの一員として参加する。
多摩川洋裁学院長、女子美術短期大学(現在の女子美術大学短期大学部)講師を兼任。
ファッションデザイナーとして産業的、機能的 ……

桑沢洋子が亡くなってから、47年と223日が経過しました。(17390日)

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