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伊東茂平(いとうもへい)

ファッションデザイナー[日本]

1967年 2月3日 死去享年70歳

伊東 茂平(いとう もへい、1898年〈明治31年〉9月5日 - 1967年〈昭和42年〉2月3日)は、日本の服飾デザイナー。
洋裁学校の設立や『婦人画報』への洋裁記事の執筆などで日本における洋裁の啓蒙に努めた。
独自の婦人服裁断法を考案し、その作図法は伊東式と呼ばれた。
経歴= 大分県に生まれる。
1916年(大正5年)、慶應義塾大学部法律科を卒業。
独学で洋裁を学び、1929年(昭和4年)、東京琴平町(虎ノ門)にイトウ洋裁研究所を設立。
1932年、『婦人画報』新年号に洋裁記事を初掲載。
1935年(昭和10年)、大阪梅田にイトウ洋裁研究所を設立。
1940年(昭和15年)、芝区三田に伊東衣服研究所を設立。
1941年、横浜と名古屋にも研究所を設立。
1944年、戦時体制により各所の研究所を閉鎖する。
1946年(昭和21年)、世田谷区成城に伊東衣服研究所を設立。
大阪、名古屋の研究所を再開。
同年、雑誌『私のきもの』を創刊(1961年に『モード・エ・モード』に誌名変更)。
1948年(昭和23年)に発足した日本デザイナークラブ(NDC)の顧問を引き受ける。
1952年(昭和27年)、東京中野に女子美術洋裁学校を開設。
1954年(昭和29年)2月から1960年(昭和35年)8月までの日本航空(JAL)2代目制服、および1960年(昭和35年)8月から1967年(昭和42年)3月までの3代目制服のデザインを担当。
1955年、日本デザイン文化協会(NDK)の名誉会員となる。
1956年(昭和31年)10月、帝国ホテルにて伊東茂平 ……

伊東茂平が亡くなってから、57年と292日が経過しました。(21111日)

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