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猪熊弦一郎 氏(いのくまげんいちろう)

画家[日本]

1993年 5月17日 死去享年90歳

猪熊弦一郎 - ウィキペディアより引用

猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう、1902年〈明治35年〉12月14日 - 1993年〈平成5年〉5月17日)は、昭和期の洋画家。
新制作協会創立会員。
「絵を描くには勇気がいる」とよく口にし、新しいものへ挑戦し続けた彼の画業は多くの人の心を捉えている。
丸亀市にある猪熊弦一郎現代美術館(設計:谷口吉生)には、猪熊の作品が常設展示されている。
建築家・丹下健三が設計した香川県庁舎の壁画は、猪熊の作である。
略歴[編集] 1902年 - 香川県高松市に生まれ、丸亀市に転居。
丸亀東幼稚園、城北小学校に通う。
小学校の時から絵がうまく、学校の美術の授業で教師の代わりをする事もあった。
1921年 - 旧制丸亀中学校(現・香川県立丸亀高等学校)卒業。
1922年 - 東京美術学校(現・東京芸術大学)洋画科に入学し、藤島武二に師事する。
のちに同学校を中退。
1926年 - 「婦人像」で帝展初入選を果たす。
その後、「座像」で特選に選ばれるなどし、帝展無鑑査となる。
1936年 - 帝展改組をきっかけに小磯良平、脇田和らと新制作派協会を設立する。
1938年 - フランスに移り、アンリ・マティスの指導を受ける。
この時、マティスに自分の絵の批評を請うと「お前の絵はうますぎる」と言われ、これを自分の画風が出来ていないと捉えて愕然とする。
以来、自らの画風を模索する歳月を過ごすが、マティスの影響からなかなか抜け出せなかった。
1940年 - 第二次世界大戦が勃発し、最 ……

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猪熊弦一郎さんが亡くなってから、31年と71日が経ちました。(11394日)