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濤川惣助(なみかわそうすけ)

七宝職人[日本]

(帝室技芸員)

1910年 2月9日 死去享年64歳

濤川惣助 - ウィキペディアより引用

濤川 惣助(なみかわ そうすけ、弘化4年(1847年) - 明治43年(1910年)2月9日)は、日本の七宝家。
東京を中心にして活躍、無線七宝による絵画的表現を特色とし、京都で活躍した並河靖之と共に二人のナミカワと並び評された。
略歴[編集] 濤川惣助は1847年(弘化4年)に下総国鶴巻村(現・千葉県旭市)で農家の次男として生まれた。
その後に陶磁器等を扱う貿易商となったが、1877年(明治10年)に開催された第1回内国勧業博覧会を観覧して七宝の魅力に目覚め、直ぐに七宝家の道に転進した。
同年中に塚本貝助ら尾張七宝の職人達を擁する東京亀戸にあるドイツのアーレンス商会の七宝工場を買収し、2年後の1879年(明治12年)には革新的な技法となる無線七宝を発明した。
機械工業が未熟であった当時の日本にとって伝統工芸品の輸出は貴重な外貨獲得手段(殖産興業)であり、明治政府は当時の欧米で頻繁に開催されていた万国博覧会を、伝統工芸品を輸出するための恰好のショーケースと位置づけていた。
濤川はこの流れに乗って国内外の博覧会に自らの作品を出展して数々の賞を受賞した。
極一部を取り上げるにとどめるが、1881年(明治14年)に開かれた第2回内国勧業博覧会では名誉金牌を、1883年(明治16年)のアムステルダム万博と1885年(明治18年)のロンドン万博では金牌を、1889年(明治22年)に開催されたパリ万博では名誉大賞を受賞している。
1887年(明治20年)にはアーレンス商会と同 ……

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濤川惣助が亡くなってから、114年と168日が経過しました。(41807日)