中里恒子 氏(なかざとつねこ)
作家[日本]
1987年 4月5日 死去享年79歳
中里 恒子(なかざと つねこ、1909年12月23日 - 1987年4月5日)は、日本の小説家。
本名・恒。
神奈川県生まれ。
1939年に国際結婚をテーマにした『乗合馬車』『日光室』で女性初の芥川賞を受賞。
人生の機敏を典雅な文体で描いた。
戦後は『歌枕』『時雨の記』など老境を描いた作品を多く発表した。
日本芸術院会員。
経歴=
1909年(明治42年)、父・中里万蔵、母・保乃の次女として、神奈川県藤沢市に生まれる。
家業は幕末から続く呉服太物商である。
1922年(大正11年)、横浜紅蘭女学校(現・横浜雙葉学園)に入学。
翌年9月の関東大震災で家も学校も焼失したため川崎に転居し、川崎実科高等女学校(現・川崎市立川崎高等学校)に編入する。
1925年(大正14年)に女学校を卒業、翌年、文藝春秋社員をしていた遠縁の者より永井龍男を紹介される。
1928年(昭和3年)、『火の鳥』などの同人雑誌に創作を発表し始める。
12月、兄の知人の佐藤信重と結婚して佐藤姓となる。
1930年(昭和5年)、長女が生まれる。
1932年(昭和7年)、結核の養生のため逗子町桜山に転居、横光利一、川端康成と知り合う。
翌年、逗子の桜山仲町に転居する。
1936年(昭和11年)、横光利一門下である寺崎浩編集の「文学読本」の同人となる。
1937年(昭和12年)6月号から翌年3月号まで雑誌『少女の友』に連載された川端康成『乙女の港』の下書きを書く。
1939年(昭和14年)2月、前年に発表した「乗合 ……
中里恒子さんが亡くなってから、37年と231日が経ちました。(13745日)