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百田宗治(ももたそうじ)

児童文学者作詞家[日本]

1955年 12月12日 死去享年63歳

百田 宗治(ももた そうじ、1893年1月25日 - 1955年12月12日)は大正・昭和期の詩人、児童文学者、作詞家。
本名は百田宗次。
少年時代の号は楓花。
現在の大阪府大阪市西区新町出身。
童謡『どこかで春が』(草川信作曲)の作詞で知られる。
来歴[編集] 高等小学校卒業後、フランス語を独学する。
1911年ごろより詩を書き始め、1915年に個人雑誌『表現』を発行。
翌1916年に詩集『一人と全体』を発表。
詩の傾向としてはホイットマンやロマン・ロランの影響を受けた人道主義的・民主主義的傾向で、1918年に創刊された『民衆』を契機として、富田砕花や白鳥省吾とともに民衆詩派の一員として数えられるようになる。
新潮社が創刊した「日本詩人」の編集にあたり、1926年に発刊した『椎の木』では三好達治、丸山薫、伊藤整、春山行夫、阪本越郎など若手詩人を起用し、一時代を築いた。
その頃から、モダニズムを取り入れた俳句系の詩風へ変化。
1932年ごろより児童詩・作文教育に携わるようになり、波多野完治、滑川道夫、巽聖歌ら作文教育の指導者を育てた。
戦中期には報道部員として大陸に渡った。
東京大空襲で家を焼かれ、戦後間もない時期は3年ほど北海道に転住。
1953年からは千葉県に住み、終の棲家とした。
墓所は、千葉県南房総市(旧・安房郡富山町)高崎の寿楽寺。
北海道上川郡愛別町との縁[編集] 東京大空襲により家を焼かれた百田は北海道で疎開生活を送ったが、 ……

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百田宗治が亡くなってから、68年と228日が経過しました。(25065日)