熊倉一雄 氏
俳優、声優、演出家[日本]
2015年 10月12日 死去直腸がん享年89歳
熊倉 一雄(くまくら かずお、1927年〈昭和2年〉1月30日 - 2015年〈平成27年〉10月12日)は、日本の俳優、声優、演出家。
テアトル・エコー所属で、生涯に渡って代表取締役演劇担当を務めていた。
来歴=
東京府東京市麻布区(現・東京都港区)三ノ橋出身。
父は工作機械のセールスマン。
母方の祖父は傘の会社の技師長。
青山で1年ほど暮らして、5歳の時、一家は下町、東京府東京市京橋区入船町(現:東京都中央区入船)に越して父の両親と同居。
この町で小学校時代を送っていたが、元々虚弱体質であり、小学2年生の時に肋膜炎を罹り3ヶ月ほど自宅療養し、本ばかり読んでいた。
将来は発明家になりたいと考えており、エジソンが好きだった。
旧制東京府立第八中学校(現・東京都立小山台高等学校)に進学する頃に父が米国企業に転職し、家計は楽になり、一家は再び山の手の東京府東京市大森区大森(現:東京都大田区大森)に転居。
中学5年生の時、 旧制第二高等学校(現・東北大学)を受験するも失敗し、慶應義塾大学経済学部予科に進学。
1944年、授業など殆どなく、栃木県へ援農(勤労動員)に行ったり、東京都品川区大崎の工場でボールベアリングを作ったり、三交代制で飛行機を作らされる毎日に嫌気が差して秋に中退。
翌年4月、外交官を志して旧制都立高等学校文科(後の東京都立大学)を受験し、進学。
終戦後、「一体これからどうしていけばいいのか」と、見当がつかなくな ……
熊倉一雄さんが亡くなってから、9年と41日が経ちました。(3328日)