隆慶一郎 氏(りゅうけいいちろう)
作家[日本]
1989年 11月4日 死去享年67歳
隆 慶一郎(りゅう けいいちろう、1923年〈大正12年〉9月30日 - 1989年〈平成元年〉11月4日)は、日本の脚本家、小説家(時代小説作家)。
本名は池田 一朗(いけだ いちろう)。
本名で脚本、隆慶一郎のペンネームで小説を執筆していた。
東京市赤坂区生まれ。
旧制同志社中学、第三高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒。
来歴=
戦時中は学徒出陣で出征、陸軍士官として中国大陸を転戦した。
この時期に陣中に持って行った『葉隠』が、作家として『死ぬことと見つけたり』を書くきっかけとなった。
終戦後、復学して1948年 東京大学卒業、大学時代に師事していた小林秀雄が参画していた創元社(のちの東京創元社)に入社する。
短期だが大学講師でも勤務した。
1950年頃、立教大学講師、中央大学助教授としてフランス語を、1959年まで教えていた。
1957年、脚本家としての活動を開始する。
当初は『陽のあたる坂道』など日活の映画を中心に脚本を手がける。
脚本家では、本名の池田一朗で活動しており、隆慶一郎を名乗って活動したのは、晩年の作家活動期となった約5年間だけである。
1957年に脚本家としての活動を始めて以降、20世紀後半の日本のテレビ・大衆向けの文芸活動を広く長く支えた存在であった。
脚本家時代は映画、テレビドラマ問わず幅広い作品を手がけ、戦後日本のテレビドラマ史においても1970年代までを代表する脚本家の一人だった。
脚本家としての代表作 ……
隆慶一郎さんが亡くなってから、35年と17日が経ちました。(12801日)