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橋本忍 氏(はしもとしのぶ)

脚本家映画監督[日本]

(「羅生門」「七人の侍」「日本沈没」「砂の器」など、映画史に残る名作を数多く手掛ける)

2018年 7月19日 死去肺炎享年101歳

橋本忍 - 脚本家、映画監督

橋本 忍(はしもと しのぶ、1918年〈大正7年〉4月18日 - 2018年〈平成30年〉7月19日)は、日本の脚本家、映画監督。
兵庫県神崎郡鶴居村(現・神崎郡市川町鶴居)に生まれる。
脚本家の橋本信吾、橋本綾は実子。
経歴= キネマ旬報社『キネマ旬報』2月上旬号(1967)より 家業は小料理屋で、物心ついたころから父親の家業を手伝っていた。
やがて芝居好きの父親が興行活動を始め、自費で開設した芝居小屋の楽屋へ幼少の頃から頻繁に出入りし、多大な影響を受ける。
高等小学校卒業後、薬問屋へ丁稚奉公に出るが直ぐに辞め、伝手を頼って入学した大鉄教習所を卒業後、国鉄に勤務。
国鉄竹田駅 (兵庫県)に勤務していた1938年に応召、鳥取歩兵四十連隊に入隊(階級は一等兵)するも、出征の直前、粟粒性結核に罹り、永久服役免除され療養生活に入る。
陸軍病院の隔離病棟から日赤病院を経て、1939年に厚生省管理下の岡山県の傷痍軍人岡山療養所に入所。
入所一週間は絶対安静であったが、安静中に時間を潰す書籍類を持参しておらず、偶然、隣のベッドにいた松江63連隊の陸軍病院から来た兵士・成田伊介が差し入れた『日本映画』という映画雑誌を読み、巻末に掲載されたシナリオに興味を持ち、成田に「これを書く人で、日本で一番偉い人はなんという人ですか?」と訊ねたところ「伊丹万作という人です」と返ってきたため、「では、自分でシナリオを書いて、伊丹万作という人に見て貰います」と ……

橋本忍さんが亡くなってから、6年と125日が経ちました。(2317日)