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中村登 氏(なかむらのぼる)

映画監督[日本]

1981年 5月20日 死去がん享年69歳

中村登 - ウィキペディアより引用

中村 登(なかむら のぼる、1913年8月4日 - 1981年5月20日)は、東京府東京市下谷区上根岸(現東京都台東区根岸)出身の映画監督。
人物= 歌舞伎作者榎本虎彦の次男として誕生。
父と死別後、母は清元の家元と再婚、花柳界に育つ。
1936年に東京帝国大学文学部英文科を卒業後、松竹蒲田から移転し間もない松竹大船撮影所(第1期)に助監督として入社。
斎藤寅次郎、島津保次郎、吉村公三郎に師事。
1941年に文化映画『生活とリズム』で監督デビュー。
戦後、オールスター映画『我が家は楽し』(1951年)が出世作となる。
1960年代に入り、『紀ノ川』などの文芸大作に手腕を見せ、松竹大船を支える巨匠として活躍した。
『古都』、『智恵子抄』で2度のアカデミー外国語映画賞にノミネートされた。
1979年、紫綬褒章受章。
1981年、日中合作映画『未完の対局』の準備中に、ガンのため死去。
端正かつ鮮やかな作風は「映画の教科書」と評されている。
監督作品= 『我が家は楽し』(1951年) 『波』(1952年) 『紀ノ川』(1966年) 結婚の理想(1941年/松竹大船) 新たなる幸福(1942年/松竹大船) 人間同志(1942年/松竹大船) 男の意気(1942年/松竹大船) 湖畔の別れ(1943年/松竹大船) ニコニコ大会 歌の花籠 第二篇(1946年/松竹大船) 愛の先駆者(1946年/松竹大船) お光の縁談(池田忠雄と共同、1946年/松竹大船) 処女は真珠の如く(1947年/松竹大船) 娘の逆襲(1947年/松竹大船) 旅装(1948年/松竹大 ……

中村登が亡くなってから、43年と185日が経過しました。(15891日)

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