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緒形拳 氏(おがたけん)

俳優[日本]

2008年 10月5日 死去享年72歳

緒形拳 - ウィキペディアより引用

緒形 拳(おがた けん、1937年〈昭和12年〉7月20日 - 2008年〈平成20年〉10月5日)は、日本の俳優。
旧芸名および本名は緒形 明伸(おがた あきのぶ)。
血液型はB型。
趣味は絵手紙と水墨画。
東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身、千葉県千葉市育ち。
長男は緒形幹太、次男は緒形直人で共に俳優。
義理の娘(直人の妻)に女優の仙道敦子、孫に緒形敦(直人の息子)がいる。
来歴= 集英社『週刊明星』1月17日号(1965)より 1937年7月20日(火曜日)、東京府東京市牛込区で生まれる。
太平洋戦争中、空襲で牛込の家が焼かれたため、小学校2年生の時に千葉県千葉市登戸町(現・中央区登戸)に一家で疎開したという。
中学まで千葉で過ごし、その後東京へ戻った。
1957年に東京都立竹早高等学校を卒業。
憧れていた新国劇の二大看板俳優の1人、辰巳柳太郎の弟子になるべく、翌1958年に新国劇に入団し、辰巳の付き人となる。
1960年、新国劇のもう1人の看板俳優、島田正吾に見出され、『遠い一つの道』で主人公のボクサー役に抜擢された。
作品は映画化され、映画デビューも果たす。
1965年、NHKのディレクター吉田直哉により大河ドラマ『太閤記』の主役に抜擢され、新国劇の活動も兼務して1年活動した。
引き続き1966年の大河ドラマ『源義経』に武蔵坊弁慶役で出演し、2年続けて大河に出演する稀有な活動をし、その後も数々の大河ドラマに出演し、常連俳優の1人として活躍した ……

緒形拳さんが亡くなってから、16年と47日が経ちました。(5891日)