島津斉宣(しまづなりのぶ)
薩摩藩主[日本]
(天保12年10月24日没)
1841年 12月6日 死去享年68歳
島津 斉宣(しまづ なりのぶ)は、江戸時代後期の大名。
島津氏の第26代当主。
薩摩藩の第9代藩主。
島津斉彬と天璋院(篤姫)の祖父にあたる。
生涯=
安永2年(1774年)12月6日、8代藩主・島津重豪の長男として江戸で生まれる。
母は中納言・堤代長の娘である春光院。
天明7年(1787年)1月、父・重豪の隠居により、家督を継いで9代藩主となった(同時に11代将軍・徳川家斉(正室が姉の広大院であり義兄にあたる)より偏諱を賜り、初名の忠堯(ただたか)から斉宣に改名する。
しかし実権は父・重豪に掌握されていた。
文化2年(1805年)12月には『亀鶴問答』を著し藩政改革の方針を示したが、父・重豪との主導権争いが激化し、さらに薩摩藩の財政改革問題などから内紛(近思録崩れ)が起こる。
これにより文化6年(1809年)6月、斉宣は重豪より近思録崩れの責任を問われ、長男の斉興に家督を譲らされて強制隠居させられた。
天保12年(1841年)10月、江戸の薩摩藩下屋敷にて死去。
享年69。
人物=
国学で有名な高山彦九郎と親交があった。
江戸に重豪、斉宣の2人の隠居を抱える薩摩藩の出費は莫大なもので、斉宣は経費が少なくて済む薩摩での隠居を度々幕府に願い出たが
島津斉宣が亡くなってから、182年と310日が経過しました。(66786日)