尾崎秀樹 氏(おざきほつき)
文芸評論家[日本]
1999年 9月21日 死去享年72歳
尾崎 秀樹(おざき ほつき、1928年(昭和3年)11月29日 - 1999年(平成11年)9月21日)は、日本の文芸評論家。
ゾルゲ事件の研究や、大衆文学評論に尽くした。
ゾルゲ事件の尾崎秀実は異母兄。
同母妹の田才秀季子(ほすえこ)は、チェコ文学者田才益夫の妻。
妻の尾崎恵子は執筆のアシスタントでもあり、秀樹との共著が二冊ある。
歴史学者・政治学者の今井清一は義理の甥(秀実の娘の夫)。
経歴=
生い立ち=
台湾台北州台北市に尾崎秀真と、愛人の吉田きみとの子として生まれ、母の私生児として育つ。
1933年に秀真の本妻が死去し、母と再婚し秀真の妻となり、秀樹も尾崎家に入籍する。
父尾崎秀真(尾崎白水)は美濃出身で戦前の台湾で歴史学者、漢詩人、文士、新聞記者(報知新聞記者、のち台湾日日新報記者を経て主筆)として活躍した。
秀真は新聞社退社後は、台湾総督府資料編纂官、台湾中学会(夜間中学)の経営などにあたる。
中学時代に兄秀実がゾルゲ事件で検挙され、家族は周囲から冷たい扱いを受けた。
台北帝国大学附属医学専門部(中退)在学中に学徒動員により訓練や作業に就く。
終戦の翌年に母の実家福岡に引き揚げ、その後岐阜に移り、ゾルゲ事件真相究明を志して上京。
義姉を介して伊藤律の紹介で、中部民報東京支局に就職。
日本共産党にも出入りし、1948年に入党、川合貞吉らとともに尾崎伝記編纂委員会、尾崎事件真相究明会などでゾルゲ事件の調査 ……
尾崎秀樹さんが亡くなってから、25年と62日が経ちました。(9193日)