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安藤彦太郎 氏(あんどうひこたろう)

歴史学者[日本]

(早稲田大学名誉教授・日中関係史)

2009年 10月27日 死去膀胱がん享年93歳

安藤彦太郎(あんどう ひこたろう、1917年(大正6年)6月14日 - 2009年(平成21年)10月27日)は、日本の日中関係史学者、早稲田大学名誉教授。
経歴= 1917年、神奈川県横浜市生まれ。
早稲田大学政治経済学部を卒業。
「中国の会」は、尾崎秀樹が普通社主宰で1960年ごろに立ち上げ、野原四郎、竹内好、橋川文三、安藤、新島淳良、今井清一らをメンバーとした。
早稲田大学政経学部教授を務め、文化大革命の際は新島淳良や野村浩一とともにこれを礼賛した。
1988年に定年退任、名誉教授となった。
また、日中学院長をつとめ、のち名誉学院長。
現代中国学会幹事を長く務めた。
2009年10月27日、膀胱癌で死去、享年92歳。
家族・親族= 妻:岸陽子は中国文学者・早稲田大学名誉教授。
著書= 単著= 中国研究所調査部 編『新中国の医療と衛生』中国研究所〈中国資料月報 55〉、1952年8月。
  『変革と知識人 建設期中国の思想と学問』東和社、1952年10月。
  『中国通信 1964~1966』大安、1966年11月。
  『プロレタリア文化大革命』大安、1967年7月。
  『北京』阿部徹雄・熊瀬川紀・島内英佑撮影、講談社〈原色写真文庫〉、1967年9月。
  『日本人の中国観』勁草書房、1971年3月。
  『中国通信』亜紀書房、1972年11月。
  『第二・中国通信』亜紀書房、1972年11月。
  『日本人の中国観』勁草書房、1975年7月。
  『日中関係の視点』龍渓書舎、1975年7月。
  『中 ……

安藤彦太郎さんが亡くなってから、15年と25日が経ちました。(5504日)

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