田中澄江 氏(たなかすみえ)
作家、脚本家[日本]
2000年 3月1日 死去享年93歳
田中 澄江(たなか すみえ、旧姓:辻村、1908年4月11日 - 2000年3月1日)は、日本の脚本家、著作家。
中野区教育委員も務めた。
また、山を愛していて「花の百名山」を選んだことでも知られる。
東京都名誉都民。
夫は劇作家の田中千禾夫。
小学校時代の同級生に川島芳子がいる。
日本ペンクラブ、日本演劇協会、日本文芸家協会、日本放送作家協会、各会員。
長男・聖夫(たかお)の妻は画家の三田恭子(日本初の女性刑務所長・三田庸子の娘)。
来歴・人物=
東京府北豊島郡生まれ。
1932年、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)国文科を卒業する。
学生時代から岡本綺堂主宰の「舞台」などで習作にはげむ。
聖心女子学院の教師を務める。
1934年、やはり劇作家の田中千禾夫と結婚、神奈川県藤沢町鵠沼に新居を構える。
菊池寛の戯曲研究会にも参加。
1939年、「劇作」に発表した戯曲『はる・あき』で注目される。
戦時中は鳥取に疎開。
戦後、長男の病気治療のために京都に転居。
家が没落し、家計を支えるために、地方紙(京都日日新聞)の芸能記者をしながら、体験に基づく“私戯曲”「悪女と眼と壁」「京都の虹」などを発表。
1952年『我が家は樂し』、『少年期』、『めし』の映画の脚本が評価され、ブルーリボン賞脚本賞を受賞する。
1955年「つづみの女」、1959年「がらしあ・細川夫人」を発表する一方、小説面でも活躍し「虹は夜」「きりしたん殉教 ……
田中澄江さんが亡くなってから、24年と288日が経ちました。(9054日)