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長沢芦雪(ながさわろせつ)

絵師[日本]

(寛政11年6月8日没)

1799年 7月10日 死去享年46歳

長沢芦雪 - ウィキペディアより引用

長沢 芦雪(ながさわ ろせつ、宝暦4年(1754年) - 寛政11年6月8日(1799年7月10日))は、江戸時代の絵師。
円山応挙の高弟。
長沢蘆雪、長澤蘆雪とも表記される。
名は、政勝、魚。
字は氷計、引裾。
通称、主計。
芦雪の他、別号に千洲漁者、千緝なども用いた。
円山応挙の弟子で、師とは対照的に、大胆な構図、斬新なクローズアップを用い、奇抜で機知に富んだ画風を展開した「奇想の絵師」の一人。
略歴[編集] 大原女 丹波国篠山に生まれる。
後記の南紀滞在の際に芦雪自身が、自分の父がはじめ篠山城主(篠山藩)青山下野守(青山忠高)に、その後山城国淀藩に出仕した上杉彦右衛門であると述べたという資料が残っている。
同時代の高名な絵師と比べるとその履歴を示す資料は少なく、いつ応挙の弟子になったかさえはっきりとはわからない。
現存中で最も早い時期の作「東山名所図屏風」(紙本銀雲淡彩六曲一隻、個人蔵)安永7年(1778年)芦雪25歳の時には応挙に弟子入りしていたことがわかる。
ただ、落款から応挙入門以前と思われる作品も発見され、入門前から十分な力量を持っていた。
33歳のとき、紀州の禅寺である無量寺に、応挙がかねて約束していた、大津波で壊れた本堂の再建後に飾る画を、応挙の命で同寺の愚海和尚に同道して届けた。
この1786年から1787年(天明6年から7年)、南紀に滞在した折に多くの障壁画を残している。
無量寺の本堂襖絵の『龍虎図』は ……

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