曾我蕭白(そがしょうはく)
絵師[日本]
(天明元年1月7日没)
1781年 1月30日 死去
曾我 蕭白(そが しょうはく、 享保15年(1730年) - 天明元年1月7日(1781年1月30日))は、江戸時代中期の絵師。
蛇足軒と自ら号した。
高い水墨画の技術を誇る一方、観る者を驚かせる強烈な画風で奇想の絵師と評される。
経歴=
虎渓三笑図 ボストン美術館蔵
美人図 奈良県立美術館蔵
天台山石橋図 峨山南宗賛 安永8年(1779年)メトロポリタン美術館蔵
出自=
享保15年(1730年)、「丹波屋」と号する京都の商家に、吉右衛門とヨツの間に次男として生まれた。
本姓を三浦と称した。
蕭白の生涯については資料が少なく不明な点が多い。
伊勢地方に多くの作品が残ることから、かつては伊勢の出身とされたこともあった。
京都市上京区の興聖寺には、蕭白の代表作『寒山拾得(かんざんじっとく)図』が残るほか、蕭白とその一族の墓もある。
兄と妹がおり、兄は蕭白が11歳の時(元文5年、1740年)江戸で亡くなっていることから、丹波屋は江戸に支店を置ける程度の商家であったようだ。
菩提寺の興聖寺の所在地が西陣に近いことなどから、丹波屋は紺屋だった可能性がある。
寛保3年(1743年)2月に父・吉右衛門が亡くなる。
この頃の蕭白は、伊勢の久居の米屋で奉公していたという伝承が残る。
さらに永享3年(1746年)1月、母・ヨツが亡くなり、丹波屋も潰れてしまったようだ。
そして蕭白は孤独のうちに生きることを強いられることとなる。
画系をめぐる諸説=
蕭白は高田敬輔や望月玉 ……
曾我蕭白が亡くなってから、243年と293日が経過しました。(89049日)