武智鉄二 氏(たけちてつじ)
演劇評論家、演出家[日本]
(旧字体・鐡二)
1988年 7月26日 死去膵臓がん享年77歳
武智 鉄二(たけち てつじ、旧字体:鐡二、大正元年(1912年)12月10日 - 昭和63年(1988年)7月26日)は、大阪市出身の日本の演劇評論家、演出家、映画監督。
役者の型や口伝に影響されない狂言作者の意図に忠実な武智歌舞伎を世に問うたことで知られる。
歌舞伎のみならず、能や文楽、オペラ、舞踏、映画の演出も手がけ、わいせつ図画公然陳列罪で起訴された「黒い雪裁判」の被告人の一人としても知られる。
本名ははじめ武智 鐡二、のち西村 鐡二(にしむら てつじ)、のち川口 鐡二(かわぐち てつじ)。
日本演劇学会、伝統芸術の会、日本文芸家協会、日本オペラ協会、日本演劇協会、各会員。
来歴=
1912年、大阪市梅田に生まれる。
父は工学エンジニアの正次郎、母は徳島の名妓だった尾寅。
正次郎は京都大学土木科卒、基礎工事の発明で海外でも特許を得ていた。
この武智家の財力が鉄二の活動の基盤となる。
1932年、甲南高等学校 (旧制)を経て京都帝国大学経済学部入学、1936年に卒業。
1939年、個人雑誌『劇評』を創刊。
のちに『観照』(1946 - 1952)と『演劇評論』(1953 - 1956)も刊行している。
1941年、「創造劇場」として『絵本太功記』「十段目」を上演。
「創造劇場」は若手歌舞伎俳優の研究団体で、武智は鴻池幸武と共同で演出にあたった。
1944年、吉田幸次郎、片山博通を同人として5月1日に「断絃会」を発足。
私財を投じて伝統芸術の保護に努める。
1949年、「関 ……
武智鉄二さんが亡くなってから、36年と118日が経ちました。(13267日)