別宮貞雄 氏(べっくさだお)
作曲家[日本]
2012年 1月12日 死去老衰享年91歳
別宮 貞雄(べっく さだお、1922年(大正11年)5月24日 - 2012年(平成24年)1月12日)は、日本の作曲家。
経歴=
1922年に別宮貞俊(東京工業大学教授を務めたのち実業界に転じ、住友電気工業株式会社初代社長などを歴任)と病理学者で東京帝大医学部教授の山極勝三郎の長女梅子の息子として東京に生まれた。
翻訳家の別宮貞徳は弟。
兵庫県立第一神戸中学校から成城高等学校、第一高等学校を経て東京大学理学部物理学科を1946年(昭和21年)に卒業。
同年に「管弦楽のための二章」を発表して作曲家としてデビューした。
翌1947年(昭和22年)、同大学文学部美学科に入学し1950年(昭和25年)卒業。
この間、柴田南雄らの新声会に参加し作品を発表している。
1951年(昭和26年)、フランスに渡り、パリ国立高等音楽院でダリユス・ミヨー、オリヴィエ・メシアンらに師事したが、ミヨーのクラスを受験した際、別宮が合格したためシュトックハウゼンは不合格となった。
帰国後1955年(昭和30年)から桐朋学園大学で教鞭を執る。
1961年(昭和36年)から桐朋学園大学教授、1973年(昭和48年)から中央大学教授を務めた。
中央大学の音楽研究会吹奏楽部から作品を委嘱されてもいる。
2000年(平成12年)を第1回として、その選考対象年に日本で発表された作曲作品の中から別宮自身がもっとも優れた作品と評価する作品に対して別宮賞の贈呈を始めた。
2012年1月12日、肺炎のため死去。
89歳。
東京・ ……
別宮 貞雄氏(べっく・さだお=作曲家、中央大名誉教授)12日午後9時30分、老衰のため東京都三鷹市の老人ホームで死去、89歳。東京都出身。葬儀は16日午前11時30分から武蔵野市御殿山1の7の8のカトリック吉祥寺教会で。喪主は長男剛夫(たけお)氏。 作品に「交響曲第5番」「ヴィオラ協奏曲」など。桐朋学園大教授、日本現代音楽協会委員長も務めた。
別宮貞雄さんが亡くなってから、12年と327日が経ちました。(4710日)