中田喜直 氏(なかだよしなお)
作曲家[日本]
2000年 5月3日 死去直腸がん享年78歳
中田 喜直(なかだ よしなお、1923年〈大正12年〉8月1日 - 2000年〈平成12年〉5月3日)は、日本の作曲家。
概要=
『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』、『夏の思い出』などを作曲した日本の職業作曲家の一人である。
父は『早春賦』で知られる作曲家の中田章。
喜直は三男であり、兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次である。
妻の中田幸子は、音楽出版ハピーエコーの代表であり、喜直の作品を多数出版している。
生涯=
略歴=
誕生=
1923年8月1日、東京府豊多摩郡(後の東京市、現在の東京都渋谷区)で生まれる。
父が音楽家だったため、幼少より作曲等音楽に興味をもったが、物心がついた頃には、父はすでに病床に伏しており、音楽については兄の一次から教わった。
1933年には最初の歌曲を書いた。
1935年には、映画『別れの曲』の影響でショパンに心酔しピアニストを志望するようになる。
学生時代と戦争=
1935年に千代田区立番町小学校を卒業。
青山学院中学部に進学し、東京音楽学校(現:東京芸術大学)予科に入学、翌年に本科器楽部ピアノ専攻に進学した。
田中規矩士と豊増昇にピアノを、橋本國彦に作曲を師事。
戦時(太平洋戦争)のため1943年9月に繰り上げ卒業。
同年10月に特別操縦見習士官(第1期)となり宇都宮陸軍飛行学校に入校、帝国陸軍航空部隊の戦闘機操縦者となる。
陸軍少尉に任官し、四式戦闘機「疾風」を装備する飛行第51戦隊附としてフィリピン ……
中田喜直さんが亡くなってから、24年と202日が経ちました。(8968日)