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清水みのる(しみずみのる)

作詞家[日本]

1979年 12月10日 死去享年77歳

清水みのる - ウィキペディアより引用

清水 みのる(しみず みのる、本名:清水 實、1903年(明治36年)9月11日 - 1979年(昭和54年)12月10日)は、日本の作詞家。
主に昭和初期から中期にかけて活躍した。
人物= 静岡県浜名郡伊佐見村(現在の浜松市中央区伊左地町)生まれ。
少年期は水泳に熱中した。
旧制浜松中学(現・浜松北高校)を経て、京都の予備校へ数ヵ月通った後、山陽中学校(現・山陽高等学校)への編入を経て、立教大学文学部英文学科卒。
立教大学では水泳部に入り、主将として、短距離自由形で全日本ベスト5に入る好記録をマークした。
詩人のサトウハチローは立教の先輩であり、レースが始まると必ず神宮プールの玄関に来てみのるを呼び出したという。
清水はその他の運動競技にも巧みで、柔道は初段、ラグビーもフィールドでの技に優れていた。
その一方、大学在学中に詩人の佐藤惣之助に師事し、詩やシナリオを書き始める。
在学中に小笠原プロダクションの別流として「乱闘の後」(全2篇)を完成させ、「天才現はる」と言われた。
映画は清水がつくったブレーブ映画研究会に集まった熱心な映画研究生89人とともに制作し、原作、脚本、監督、主演を清水一人が行った。
映画は浅草大勝館で封切されることとなった。
卒業後の1931年(昭和6年)、日本ポリドール蓄音機商会に入社、社員として働きながら作詞家への道を歩みだし、1939年(昭和14年)には田端義夫のデビュー曲の作詞を手がける。
……

清水みのるが亡くなってから、44年と347日が経過しました。(16418日)

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