ダリウス・ミヨーDarius Milhaud
作曲家、ピアニスト[フランス]
1974年 6月22日 死去享年83歳
ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud [daʁjys mijo], 1892年9月4日 - 1974年6月22日)は、フランス人の作曲家。
名はダリユス、ダリュスとも表記される。
ピアニストや指揮者としても活躍し、自作の録音を残している。
フランス6人組の一人。
概要=
南フランス、プロヴァンス地方のマルセイユで生まれ、エクス=アン=プロヴァンスで育ち、スイスのジュネーヴで没した。
第二次世界大戦期以降はアメリカでも活動した。
生まれつき小児麻痺を患っていたため、車椅子を使う機会が多かった。
1920年代以降はリウマチにも悩んでいた。
作曲意欲は旺盛で、様々な楽器編成を試みたり、タンゴやジャズにも影響を受けたりした。
また映画音楽にも筆を染め、創作活動は亡くなるまでその衰えを見せなかった。
生涯=
i=
1892年に、南フランスプロヴァンス地方のエクス=アン=プロヴァンスにおいて、アーモンド取引で財をなした富裕なユダヤ人の家庭に生まれる。
父は商館をとりしきるかたわら地元の音楽協会の中心人物を務め、母はかつてパリで声楽を学んでいた。
このような環境の中、7歳で地元の音楽家レオ・ブルギエにヴァイオリンを学び、1904年からはブルギエの四重奏団で第2ヴァイオリン奏者となる。
この頃にクロード・ドビュッシーの弦楽四重奏曲を勉強し、1902年に初演されたばかりの『ペレアスとメリザンド』の楽譜を入手する。
また同じ頃、地元の軍楽隊の音楽隊長から和声法を学びつつ ……
ダリウス・ミヨーが亡くなってから、50年と152日が経過しました。(18415日)