エリック・サティErik Satie
作曲家[フランス]
1925年 7月1日 死去肝硬変享年60歳
エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(仏: Éric Alfred Leslie Satie、1866年5月17日 - 1925年7月1日)は、フランスの作曲家。
オンフルール生まれ、オンフルールおよびパリ育ち。
「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」の異名で知られる。
ドビュッシーやラヴェルに影響を与えた。
生涯=
サティの生家。
(オンフルール)
1866年5月17日、海運業を営むアルフレッド・サティ (Alfred Satie)、とその妻のジェーン(Jane Satie、英語発音音写ではジェイン)との子(長男)としてフランス第二帝政時のオンフルールに生まれる。
1870年、父は海運業を辞め、一家はパリに移住する。
幼少期からエリックの家族はオンフルールとパリとの間を往き来していた。
1872年、母が亡くなり、エリックはオンフルールにある生家で暮らす父方の祖父母に預けられた。
それまでイギリス国教会の信者として育てられてきたエリックは、この時カトリックに改宗している。
パリ音楽院在学中、指導教授から才能が無いと否定され、1885年に2年半あまりで除籍になった。
その間、1884年に処女作のピアノ小品『アレグロ(フランス語版)』を作曲した。
そのほか、『オジーヴ』、『ジムノペディ』、『グノシエンヌ』などを発表。
1887年からモンマルトルに居住し、1890年からコルト通り (Rue Cortot) 6番地に居住。
モンマルトルのカフェ・コンセール『黒猫』に集う芸術家の1人となり、プーランク、ドビュッシー、さらにコ ……
エリック・サティが亡くなってから、99年と143日が経過しました。(36303日)