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三木稔 氏(みきみのる)

作曲家[日本]

(映画「愛のコリーダ」など)

2011年 12月8日 死去前立腺がん享年82歳

三木 稔(みき みのる、1930年3月16日 - 2011年12月8日)は、日本の作曲家。
経歴= 徳島県徳島市出身。
旧制六高理科を経て東京芸術大学作曲科卒業。
作曲を池内友次郎、伊福部昭に師事する。
1953年に《交響的三楽章》がNHK芸術祭管弦楽曲公募で2位入賞、N響が初演。
しかし芸大卒業の年に父に逝かれ、短編映画・演劇などの仕事などで一家を支えるため通常の作曲界への登場は同世代の作曲家より大幅に遅れる。
1960年から数年、三木自身が高校時代に音楽へのめり込むきっかけとなった合唱に集中的に作品を提供し、当時三木が所属していた東京リーダーターフェルのために書き下ろした《レクイエム》《阿波》などの合唱作曲家としての顔が最初に知られる。
1964年、他の14人と日本音楽集団を創立。
20年間に亘って音楽監督として箏、尺八、三味線など全ての邦楽器(日本楽器、和楽器)による現代的な合奏分野の確立に《古代舞曲によるパラフレーズ》《ダンス・コンセルタントI―四季》《巨火》(ほて)などの作品を定着させつつ尽力、とくに開発から関わった二十絃、2年後に絃数が増えた新箏(にいごと、21絃)への《天如》《箏譚詩集》などの作品群は後の作曲家が範とする。
またこの分野の海外公演を15次170回もプロデュースし、1981年クルト・マズアが指揮するライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団命名200周年記念委嘱初演の《急の曲Symphony for Two Worlds》は、後にニューヨーク・フィルハー ……

三木稔さんが亡くなってから、12年と349日が経ちました。(4732日)

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