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若松孝二 氏(わかまつこうじ)

映画監督[日本]

2012年 10月17日 死去享年77歳

若松孝二 - ウィキペディアより引用

若松 孝二(わかまつ こうじ、1936年〈昭和11年〉4月1日 - 2012年〈平成24年〉10月17日)は、日本の映画監督・映画プロデューサー・脚本家。
宮城県出身。
本名は伊藤孝(いとう たかし)。
経歴・人物[編集] 宮城県遠田郡涌谷町出身。
父親は馬喰で獣医をしていたが大酒飲みで、孝は幼いときからこの父に反抗しながら育った。
農業高校二年時中退、家出し上京。
職人見習いや新聞配達、新宿安田組の大幹部だったヤクザ(荒木恷)の下働きなどを経験。
1957年、チンピラ同士のいざこざから逮捕され、半年間、拘置所に拘禁され執行猶予付の判決を受ける。
(その時の経験により後に監督デビュー作の『甘い罠』は“警官を殺すために映画監督になった”と豪語した通りに警官殺しの映画になっている。
) その後、職を転々としテレビ映画の助監督になる。
弟子の井上淳一は「私の師匠若松孝二は若い時、新宿の安田組にいて、撮影現場の交通整理をしていて助監督になった人です」と述べている。
2005年にドイツフランクフルトで「ニッポン・コネクション」という日本映画祭があり、若松が飛行機の機内で映画を観ていて、隣りの荒井晴彦に「荒井、これ面白いな」というから荒井が「何ですか?」と聞いたらその映画が『仁義なき戦い』で、「今ごろ観てるんですか!深作さん、お友達じゃないですか」と言ったら「俺、やくざ、嫌いだもの」と言ったという。
ある現場でシナリオの改変に腹 ……

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若松孝二さんが亡くなってから、11年と283日が経ちました。(4301日)