入野義朗 氏(いりのよしろう)
作曲家[日本]
1980年 6月23日 死去享年60歳
入野 義朗(いりの よしろう、1921年11月13日 - 1980年6月23日)は、日本の現代音楽の作曲家。
人物=
若い頃の名前は「義郎」であり、1958年以降、現在の名前に改名。
十二音技法を始めとする20世紀音楽の創造と啓蒙に尽力すると共に、桐朋学園を中心に後進の育成に力を注いだ。
作品は劇音楽、管弦楽、室内楽、声楽など多岐にわたる。
1980年の没後、従五位勲四等旭日小綬章を授与された。
また同年に「入野賞」、1981年に「アジア作曲家連盟入野義朗記念賞」が設けられ、ともに若い作曲家のための登竜門として今日まで存続し続けている。
経歴=
入野は1921(大正10)年、貿易会社勤めの父の赴任地、旧ソビエト連邦のウラジオストックに生まれた。
両親は熱心なハリストス正教徒で、義郎と名付けられた。
6歳の時一家で帰国する。
13歳で中野にある東京高等学校 (旧制)尋常科入学した。
かなり進んだ音楽教育を受け、それまでにやっていたヴァイオリンやピアノに加え学校の音楽部でクラリネットやアコーディオンにも手を染め、音楽好きの次兄に倣い作曲もした。
16歳のころ、5歳年長の柴田南雄と知り合う。
1938年17歳で東京高等学校高等科入学、在学中に独、仏、露、ギリシャ語を習得。
諸井三郎の『和声学入門』を独習する。
東大オーケストラに応援に行き、ヴァイオリンやフルートを演奏した。
1941年20歳で東京帝国大学経済学部入学、すぐに東大オケに入り、戸田邦雄(6歳年長) ……
入野義朗が亡くなってから、44年と151日が経過しました。(16222日)