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黛敏郎 氏(まゆずみとしろう)

作曲家[日本]

1997年 4月10日 死去肝不全享年69歳

黛敏郎 - ウィキペディアより引用

黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年〈昭和4年〉2月20日 - 1997年〈平成9年〉4月10日)は、日本の作曲家。
戦後のクラシック音楽、現代音楽界を代表する音楽家の一人。
東京藝術大学作曲科講師として後進の育成にもあたった。
来歴= 1954年 東芝の新聞広告(1967年) 神奈川県横浜市生まれ。
旧制横浜第一中学校(現:神奈川県立希望ヶ丘高等学校)から1945年東京音楽学校(現東京藝術大学)に入学して、橋本國彦、池内友次郎、伊福部昭に師事した。
在学中はブルーコーツ等のジャズバンドでピアニストとして活動した他、既に映画音楽も多く手がけている。
1949年卒業、《ルンバ・ラプソディ》を作曲。
《10楽器のためのディヴェルティメント》(各種管楽器を多用)が卒業作品として演奏され、教員の鈴木清三、中田一次、卒御生の千葉馨などが参加して録音もされた)。
その後f研究科進学。
1951年研究科卒業。
同年最初の国産カラーフイルムによる総天然色映画『カルメン故郷に帰る』で、ブギ調での同名の主題歌作曲を担当する。
同年、映画「帰郷」で毎日映画コンクール音楽賞を受賞。
同年8月、フランス政府受け入れの留学生として、音楽学校同級生の矢代秋雄、別宮貞雄と共にパリ国立高等音楽院に入学して、トニー・オーバンのクラスで学ぶが、教育内容への反発から、1年で退学し帰国した。
1951年には《スフェノグラム》が国際現代音楽協会 (ISCM) 音楽祭に入選。
1953年、芥川也 ……

黛敏郎さんが亡くなってから、27年と189日が経ちました。(10051日)

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