芸能人・経営者のおくやみ情報

中島貞夫 氏(なかじまさだお)

映画監督[日本]

2023年 6月11日 死去肺炎享年90歳

中島貞夫 - ウィキペディアより引用

中島 貞夫(なかじま さだお、1934年(昭和9年)8月8日 - 2023年(令和5年)6月11日)は、日本の映画監督・演出家・脚本家・作詞家。
略歴= 1934年(昭和9年) - 千葉県東金市にて出生。
1944年(昭和19年) - 10歳の時に父親が戦死。
1954年(昭和29年) - 東京都立日比谷高等学校卒業。
1959年(昭和34年) - 東京大学文学部卒業。
在学中は倉本聰・村木良彦らとギリシア悲劇研究会を設立し、日比谷野外音楽堂で公演を開き、大成功を収めた。
大学卒業後、東映に入社。
「お前、ギリ研か。
ギリシア悲劇は時代劇や。
ほな、京都行け。
」と会社に言われ、東映京都撮影所の製作部に配属が決定した。
助監督時代はマキノ雅弘・沢島忠・田坂具隆・今井正らに師事する。
マキノ雅弘門下の先輩、脚本家笠原和夫・監督深作欣二は親友で、後に数多くの作品で、コラボレートしている。
映画監督としての一人立ちを目指し、精力的にシナリオを書き続け、1962年(昭和37年)美空ひばり・江利チエミ主演、沢島監督『ひばり・チエミの弥次喜多道中』で初めてシナリオが採用される。
クレジットに高田宏治との共同ペンネーム「高島貞治」が記されている。
1964年(昭和39年) - 『くノ一忍法』で監督デビュー。
1966年(昭和41年) - 挫折しながらも「イキがったらあかん、ネチョネチョ生きるこっちゃ」と粘り強く生きるチンピラ達の逞しい青春群像を描いた『893愚連隊』で注目される。
1967年( ……

中島貞夫さんが亡くなってから、2年と19日が経ちました。(750日)

推定関連画像