岩城宏之 氏(いわきひろゆき)
指揮者[日本]
2006年 6月13日 死去心不全享年75歳
岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 2006年6月13日)は、日本の指揮者。
指揮法を渡邉暁雄と齋藤秀雄に師事した。
人物・生涯=
東京府にて、専売局(後の日本専売公社)技師・岩城與一(1895年〈明治28年〉生、魚津中学校〈現:富山県立魚津高等学校〉・第四高等学校・東京帝国大学農学部農芸化学科 卒業、名古屋地方専売局長、1946年〈昭和21年〉に退官)の第5子(末子)として生まれた。
小学校に入学して間もなく父の転任で京都に転居、9歳で木琴を始める。
小学4年生の3学期で東京に戻る。
当時は病弱で、小学5年生と6年生の2年間に10か月間病欠し、骨膜炎で片脚切断の寸前まで行ったことがある。
1945年5月、旧制中学1年生のとき空襲で罹災したため、親類を頼って金沢市に疎開、2学期間を旧制金沢第一中学校(現:石川県立金沢泉丘高等学校)に学ぶ。
敗戦後、父の勤めの関係で岐阜県瑞浪に転居、ここで1年半を過ごし、旧制多治見中学校(現:岐阜県立多治見高等学校)に通学する。
1947年、旧制東京都立第一中学校(現:東京都立日比谷高等学校)の編入試験に失敗して学習院中等科に編入学する。
学習院高等科2年の時、映画『オーケストラの少女』を観て感動し、音楽家を志すに至る。
同校在学中から放送局で木琴を独奏する。
1951年、学習院高等科を卒業する。
東京大学独文学科への進学を志していたが、第二次試験の前の晩に高熱を発して受験を断念する。
現役で東 ……
岩城宏之さんが亡くなってから、18年と177日が経ちました。(6752日)