柴田睦陸 氏(しばたむつむ)
歌手[日本]
1988年 2月19日 死去肝不全享年76歳
柴田 睦陸(しばた むつむ、1913年(大正2年)3月23日 - 1988年(昭和63年)2月19日)は、昭和期の日本の声楽家(テノール)・歌手・オペラ歌手・翻訳家(訳詞家)・音楽教育者・音楽評論家。
二期会の創立者の一人であり「生みの親」。
妻は声楽家の柴田喜代子。
別名宗近明または宗近昭。
経歴=
岡山県児島郡興除村(現在の岡山市南区)出身。
上京以前に秋吉宗鎮、東京音楽学校で薗田誠一、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒ、クラウス・プリングスハイムに師事。
在学中の1935年(昭和10年)ポリドール・レコードから宗近明として歌手デビュー。
『上海リル』、『セントルイス・ブルース』などを吹き込む。
その後ビクターレコードに移籍し、本名の柴田睦陸で、『国民進軍歌』、『ラ・クンパルシータ』、『出せ一億の底力』、『朝』、『朝だ元気で』、『大東亜決戦の歌』など、流行歌、国民歌謡、軍歌などを多数吹き込む。
一方で、クラシック音楽のテノール歌手としての活動も行なった。
その後、1942年(昭和17年)1月応召(浜松飛行隊-台湾)。
1946年(昭和21年)3月復員後はビクターレコードの歌手に復帰するが、1946年(昭和21年)11月に長門美保歌劇研究所 プッチーニ『蝶々夫人』ピンカートンでオペラデビュー。
オペラへ傾倒していき、1949年(昭和24年)12月(あるいは翌1950年1月)にはオペラ研究部(あるいは「東京芸術大学歌劇研究部」)(後の二期会)の部長になる。
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柴田睦陸さんが亡くなってから、36年と276日が経ちました。(13425日)