川崎静子 氏(かわさきしずこ)
オペラ歌手[日本]
1982年 10月4日 死去肺炎享年64歳
川崎 静子(かわさき しずこ、1919年(大正8年)12月3日 - 1982年(昭和57年)10月4日)は、昭和期の声楽家(アルト)・歌手・オペラ歌手・音楽教育者。
旧姓は千葉。
旧字体表記は靜子。
二期会の創設者の一人。
経歴=
1919年(大正8年)、東京府(現: 東京都)に生まれる。
在学中から東京音楽学校(現: 東京藝術大学)による信時潔『海道東征』のアルトソロを務め、全国で演奏旅行を行なう。
1941年(昭和16年)に東京音楽学校を卒業。
ヘルマン・ヴーハープフェニッヒ、田中伸枝、リア・フォン・ヘッサートに師事。
同年に新交響楽団(現: NHK交響楽団)定期演奏会でモーツァルト『フィガロの結婚』のマルチェルリーナを歌い、東京音楽学校以外でのデビュー。
1943年(昭和18年)4月21、22日、日本交響楽団(現: NHK交響楽団)第245回定期演奏会にてブラームス『アルト・ラプソディ』(アルト、男声合唱、管弦楽)のソロ。
指揮はローゼンシュトック、合唱は成城合唱団。
時節柄、軍歌や国民歌謡の録音も行ない、『サイパン殉国の歌』や『輝く黒髪』をヒットさせた。
戦後は藤原歌劇団で活動し、特にビゼー『カルメン』タイトル・ロールを当たり役とする傍ら、二期会の結成に参画。
1951年(昭和26年)1月27日に日比谷公会堂で文部省芸術祭参加作品として、ベルリオーズ『ファウストの劫罰』の訳詞を演奏会形式で2公演、舞台として9公演を行い、これをNHKラジオが収録して放送している ……
川崎静子が亡くなってから、42年と61日が経過しました。(15402日)