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信時潔(のぶとききよし)

作曲家、チェロ奏者[日本]

1965年 8月1日 死去心筋梗塞享年79歳

信時潔 - ウィキペディアより引用

信時 潔(のぶとき きよし、1887年〈明治20年〉12月29日 - 1965年〈昭和40年〉8月1日)は、大正・昭和時代の日本の作曲家・音楽学者・チェロ奏者。
大阪市出身。
略歴[編集] 牧師・吉岡弘毅(元津山藩士の外交官で明治初期の日朝外交を担当)の子として大阪市北区中之島に生まれ、幼少より賛美歌に親しんだ。
大阪の市岡中学を経て、東京音楽学校器楽部および研究科器楽部でチェロを学んだ後、同科作曲部に移り、アウグスト・ユンケルに指揮法、ハインリヒ・ヴェルクマイスターにチェロと作曲、ルドルフ・ロイテルに対位法と和声学を師事する。
東京音楽学校助教授を務めたのち、留学先のドイツでゲオルク・シューマンに師事、帰国後に東京音楽学校教授となる。
同校の本科作曲部(現:東京芸術大学音楽学部作曲科)創設に尽力し、弟子には、片山頴太郎、下総皖一、坂本良隆、橋本國彦、呉泰次郎、細川碧、高田三郎、大中恩、柏木俊夫などがいる。
主な作品には、交声曲『海道東征』、歌曲集『沙羅』、国民唱歌『海ゆかば』(大日本帝国海軍の将官礼式用儀制曲『海ゆかば』とは同名異曲)、『紀元二千六百年頌歌』、ピアノ組曲『木の葉集』、合唱曲『紀の国の歌』、『鎮魂頌』などがある。
『沙羅』は現在でも愛唱され、多くの合唱曲も演奏機会が多い。
『沙羅』をはじめとする歌曲は木下保編曲の合唱曲としても親しまれた(木下は『海道東征』初演時の指揮者でもある)。
芸術音 ……

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信時潔が亡くなってから、58年と360日が経過しました。(21545日)