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土岐善麿 氏(ときぜんまろ)

短歌歌人国語学者[日本]

1980年 4月15日 死去享年96歳

土岐善麿 - ウィキペディアより引用

土岐 善麿(とき ぜんまろ、1885年(明治18年)6月8日 - 1980年(昭和55年)4月15日)は、日本の歌人・国語学者。
歌人として土岐 哀果(とき あいか)の号も使用した。
哀果の号を用いたが、1918年以降は本名の善麿。
独創的なローマ字三行書きの短歌集『NAKIWARAI』(1910年)で注目される。
日常の哀歓をうたった生活歌が多い。
ほかに『黄昏に』(1912年)など。
生涯= 戦前= 東京府東京市浅草区浅草松清町(現在の東京都台東区西浅草一丁目)の真宗大谷派の寺院、等光寺の二男として生まれる。
等光寺は美濃国の守護大名土岐頼芸の遺児・大圓が創建した寺と伝えられる。
父・善静は柳営連歌最後の宗匠で、学僧として知られた。
東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)では同級生に石坂泰三、三宅正太郎、一級下に谷崎潤一郎がいた。
中学在学中より学友会雑誌に文章、短歌、俳句の投稿を始める。
1905年(明治38年)、金子薫園の「白菊会」に入会し、田波御白、吉植庄亮、平井晩村らと知り合う。
早稲田大学英文科に進み、島村抱月に師事。
学外では馬場孤蝶に学び、外国文学に親しむ。
窪田空穂の第一歌集『まひる野』に感銘を受け、同級の若山牧水と共に作歌に励んだ。
北原白秋も同級である。
牧水との交流は特に深く、ともに回覧雑誌「北斗」を作ったり(他の会員には佐藤緑葉、安成貞雄らがいた)、父の納骨の際に京都へ同行したりした。
早稲田大学 ……

土岐善麿が亡くなってから、44年と243日が経過しました。(16314日)