武川忠一 氏(むかわちゅういち)
歌人[日本]
(元早稲田大学教授)
2012年 4月1日 死去虚血性心不全享年94歳
武川 忠一(むかわ ちゅういち、1919年(大正8年)10月10日 - 2012年(平成24年)4月1日)は、日本の歌人。
来歴=
長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)生まれ。
旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1940年(昭和15年)、早稲田大学専門部に入学、1943年、早稲田大学文学部国文科に編入学。
このころ作歌を始め、仲間とともに窪田章一郎を中心に早稲田大学短歌会を作り、窪田空穂の教えを受けた。
1946年、帰郷していた諏訪で「まひる野」創刊に参加、発刊の事務作業等は諏訪において行った。
同年早稲田大学文学部文学科国文学専攻卒業。
1947年上京、早稲田高等学院教諭などを経て、早稲田大学社会科学部教授となった。
1956年、「青の会」に参加。
1958年、母の死去に伴い、郷里の家を処分し、練馬区上石神井に居を定める。
1959年、第一歌集『氷湖』を発刊、日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)となる。
1963年ころから『窪田空穂全集』(角川書店)の編集に協力。
1980年頃は早稲田大学で「短歌研究会」を開き、内藤明、島田修三、小島ゆかり、米川千嘉子といった学生たちが集まった。
1982年、「まひる野」を退会。
同年、『秋照』により、迢空賞を受賞。
歌誌「音」を創刊し、主宰する。
1986年、宮中歌会始選者となる。
1997年、『翔影』により、詩歌文学館賞受賞。
2007年、『窪田空穂研究』および過去の全業績にて第30回現代短歌大賞受賞。
2010年、 ……
武川忠一さんが亡くなってから、12年と234日が経ちました。(4617日)