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若山牧水(わかやまぼくすい)

歌人[日本]

1928年 9月17日 死去享年43歳

若山牧水 - ウィキペディアより引用

若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。
本名・繁(しげる)。
生涯= 若山牧水が25歳以前の写真 羊山公園傍の「牧水の滝」(埼玉県秩父市 2009年4月24日撮影) 牧水の歌碑(静岡県三島市・三島大社)『のずゑなる三島のまちのあげ花火月夜のそらに散りて消ゆなり』 宮崎県東臼杵郡坪谷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。
1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。
短歌と俳句を始める。
18歳のとき、号を牧水とする。
由来は「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものである。
牧はまき、すなわち母の名である。
水はこの(生家の周りにある)渓や雨やから来たものであった」 1904年(明治37年)早稲田大学に入学。
同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれる。
土岐善麿、安成貞雄、佐藤緑葉も同級生で、ともに回覧雑誌「北斗」を作っていた。
1908年(明治41年)早稲田大学英文学科卒業。
7月に処女歌集『海の声』出版。
翌1909年(明治42年)、安成貞雄の紹介で中央新聞社に入社するが、5ヶ月後に退社。
尾上柴舟の門に入った。
1911年(明治44年)創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰する。
この年、歌人・太田水穂を頼って塩尻より上京していた歌人で、のちに妻となる太田喜志子(1888-1968)と水穂宅にて知り合う。
1912年 ……

若山牧水が亡くなってから、96年と78日が経過しました。(35142日)

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