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高橋悦史 氏(たかはしえつし)

俳優[日本]

1996年 5月19日 死去膵臓がん享年62歳

高橋 悦史(たかはし えつし、1935年〈昭和10年〉8月2日 - 1996年〈平成8年〉5月19日)は、日本の俳優。
来歴・人物= 宮大工の息子として大阪府岸和田市宮本町に一人息子として生まれた[1][2]。
幼くして父を亡くし、母の手一つで育てられた[2]。
大阪府立岸和田高等学校では野球部に在籍し、甲子園にあと一歩まで迫った[2]。
視力の減退で野球は断念した[2]。
高校時代に観劇した文学座の芝居に魅せられ、演劇への興味が沸く[2]。
大学受験と一緒に俳優座養成所のテストも受けたが不合格[2]。
1954年立教大学文学部英米文学科に入学(野際陽子は同学科の同期であり、大沢啓二は同校の3年先輩。
長嶋茂雄と杉浦忠も立教大の同期)。
在学中から演劇に関わり、演出も手がける。
実家の洋品店から社外株主として給料を貰っていたため[2]、大学時代は遊んで暮らす[2]。
1958年大学卒業後、TBSラジオ劇団養成所を経て、NHK俳優養成所に入る[3]。
1960年に卒業し、劇団三十人会の創立に参加[3]。
NHKでは舞台や脇役俳優や声の吹き替え(飯沢匡脚本『ブーフーウー』の狼役等)の仕事に従事する。
この間が短期間の下積み時代[2]。
1964年、本格的に新劇俳優を目指し、念願の文学座付属演劇研究所に入る[2]。
同期は小椋佳と結婚した塚原佳穂里など[2]。
卒業後、文学座研究生となるとすぐに『友絵の鼓』で主役に抜擢され、初舞台を飾る[2]。
1964年、NET『徳川家康』にテレビ初出演。
1965年には ……

高橋悦史さんが亡くなってから、29年と42日が経ちました。(10634日)

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