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伊達斉義(だてなりよし)

陸奥仙台藩主[日本]

(文政11年11月27日没)

1828年 1月13日 死去享年31歳

伊達斉義 - ウィキペディアより引用

伊達 斉義(だて なりよし)は、江戸時代後期の大名。
仙台藩11代藩主。
伊達氏27代当主。
官位は従四位下・左近衛権少将、陸奥守。
経歴[編集] 寛政10年3月7日(1798年4月22日)、仙台藩5代藩主・伊達吉村の八男・伊達村良の庶長子である陸奥一関藩主・田村村資の四男(すなわち吉村の曾孫にあたる)として江戸にて誕生。
母は脇坂安親の娘。
『寛政重修諸家譜』では幼名を吉五郎と記される。
誕生直後、父の村資は隠居し、田村家は既に養子になっていた宗顕が相続した。
文化9年(1812年)に元服して諱を顕嘉(あきよし)、通称を石見と称した。
相応しい年齢に達していないという理由で宗顕の養嗣子とならず、部屋住み身分として一関へ下る。
文政2年(1819年)4月26日に一関から仙台城に迎えられ、仙台藩の「藩治を摂関」する。
仙台藩から幕府に願いが提出された末に、同年5月25日、嗣子なくして亡くなった10代藩主・斉宗の娘と婚約、その婿養子という形で11代藩主に就任した。
なお、婚約者の芝姫は当時3歳であった。
同年5月27日に氏を田村から伊達に、通称を石見から藤次郎に改める。
同年7月に亡き養父・斉宗より1字を取って諱を宗義(むねよし)と改め、さらに8月には江戸に上り11代将軍・徳川家斉に御目見して斉義(なりよし)と改名し、従四位少将に叙任し、陸奥守となる。
ちなみに斉宗の後継候補には斉義の他に、伊達家一門の登米伊達家の伊達宗充の子である幸 ……

伊達斉義が亡くなってから、196年と195日が経過しました。(71784日)