市河三喜(いちかわさんき)
英語学者[日本]
1970年 3月17日 死去享年85歳
市河 三喜(いちかわ さんき、1886年(明治19年)2月18日 - 1970年(昭和45年)3月17日)は、日本の英語学者・随筆家。
学位は、文学博士。
東京大学名誉教授、日本学士院会員、語学教育研究所所長。
号は清庵。
日本人としては初となる東京帝国大学英文科の教授となり、日本の英語学の礎を築いた。
英語学の新人賞として市河三喜賞が設けられていた。
人物・略歴=
採集者から英語学へ=
1886年、東京府下谷区練塀町(現在の千代田区神田練塀町・外神田四丁目・台東区秋葉原に跨る地域)に書家である市河三兼(万庵)の次男として生まれる。
5、6歳の頃より家業の書道を学び、また同じく幼年の頃より兄の三陽から漢文の素読を学ぶ。
高等小学校1年時からは三陽により英語も学び始める。
1897年(明治30年)1月には英語塾の槐陰学館に入り熱心に通ったという。
1898年(明治31年)4月に東京府立尋常中学校(後の東京府立第一中学校)へ入学、在学中の14歳の時、同志の東条操らと図って日本博物学会(後に日本博物学同志会へ改名)を組織し、昆虫と植物の採集に明け暮れ、機関雑誌「博物之友」を刊行した。
動物学を原著で読もうと思い立って英語も更に学ぶ様になったという。
1903年(明治36年)に東京府立第一中学校を卒業した。
第一高等学校第一部(文科)に入学するまでは昆虫学を専攻しようとしていたが、近視のため顕微鏡を使うに堪えまいと思って文科に転向せざるを得なかった。 ……
市河三喜が亡くなってから、54年と249日が経過しました。(19973日)