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野上豊一郎(のがみとよいちろう)

文学者、能楽研究者[日本]

1950年 2月23日 死去享年68歳

野上豊一郎 - ウィキペディアより引用

野上 豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 - 1950年2月23日)は、日本の英文学者、能楽研究者。
「臼川」(きゅうせん)と号した。
法政大学総長を務め、能研究の発展にも多大な寄与をした。
レジョンドヌール・オフィシェ勲章受章者。
経歴[編集] 1883年、大分県臼杵市生まれ。
臼杵中学、第一高等学校を経て1908年に東京帝国大学文科大学英文科を卒業。
同級生に安倍能成・藤村操・岩波茂雄がいて、共に夏目漱石に師事した。
東京帝大卒業後、国民新聞社の文芸記者となる。
1909年に法政大学講師となり、1920年に同大学教授となる。
予科長・学監・理事を歴任し、森田草平・内田百閒・井本健作など漱石門下の文学者を教授陣に招聘するが、1933年に学内紛争(法政騒動)で辞職(1941年復職)。
1939年に文学博士の学位を受ける。
終戦直後の1946年に法政大学総長に選ばれ、戦争で被害を受けた大学の復興にあたった。
総長在任中の1950年に脳出血のため世田谷区成城の自宅で死去。
墓所は鎌倉市の東慶寺。
バーナード・ショーなどイギリス演劇の研究と紹介を行う傍ら、能楽の研究と海外への紹介にも尽力した。
1938年には日英交換教授として外務省から派遣され、ケンブリッジ大学などで世阿弥を講義し、自ら監修した能としては初のトーキー作品『葵上』を紹介して反響を呼んだ。
岩波文庫で世阿弥や謡曲の校訂版を、岩波新書で『能の話』を出版したほか、没後、収集した資 ……

関連作品

野上豊一郎が亡くなってから、74年と154日が経過しました。(27183日)