芸能人・経営者のおくやみ情報

新村出(しんむらいづる)

言語学者[日本]

1967年 8月17日 死去享年92歳

新村出 - ウィキペディアより引用

新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者・文献学者。
京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。
人物・来歴[編集] 旧幕臣で当時山口県令を務めていた関口隆吉の次男として現在の山口市道場門前に生まれる。
「出」という名は、父親が山口県と山形県の県令だったことから「山」という字を重ねて命名された。
1889年(明治22年)4月に父・隆吉が機関車事故により不慮の死を遂げた後、徳川別家の家扶で、慶喜の側室新村信の養父にあたり元小姓頭取の新村猛雄の養子となる。
慶喜の多彩な趣味のひとつに写真撮影があったが、彼の遺した写真の中には若き日の出の姿を写したものもある。
出は別家で子弟の家庭教師も務めていた。
15歳 東京帝国大学言語学科(1905年)。
前列右から小倉進平、伊波普猷、神田城太郎。
中列右から保科孝一、八杉貞利、上田万年、藤岡勝二、新村出。
後列右から橋本進吉、徳沢(徳沢健三?)、後藤朝太郎、金田一京助。
伊波普猷生誕百年記念会編『伊波普猷 : 1876-1947 生誕百年記念アルバム』1976年、19頁。
静岡県尋常中学校(現・静岡県立静岡高等学校)、第一高等学校を経て、1899年(明治32年)東京帝国大学文科大学博言学科卒業。
在学中は上田萬年の指導を受けた。
この頃からの友人として亀田次郎がおり、 ……

推定関連画像

新村出が亡くなってから、56年と345日が経過しました。(20799日)