佐野周二(さのしゅうじ)
俳優[日本]
1978年 12月21日 死去急性心不全享年67歳

佐野 周二(さの しゅうじ、1912年11月21日 - 1978年12月21日)は、日本の俳優。
本名は関口 正三郎(せきぐち しょうざぶろう)。
昭和初期から後期(1930年代後半〜1970年代)に活躍した二枚目スターの一人である。
関口宏、佐野守の父で、関口知宏の祖父に当たる。
上原謙、佐分利信とともに「松竹三羽烏」といわれ、松竹大船の第一号スターとされた。
来歴・人物=
東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区神田東紺屋町)に鳶職の父·亀次郎と母·マサの四男六女の6番目にあたる三男として生まれた。
1925年に今川尋常小学校、1930年に成立商業、1933年に立教大学経済学部予科を卒業。
大学時代は水泳部で、オリンピックの候補だった。
翌年に近衛歩兵第一連隊に入隊して乙種幹部候補生となり、 1935年、陸軍歩兵伍長として除隊。
1935年に義兄の経営する神戸の貿易商「アサヒ商会」(月給45円の事務員だった)に入社するも1月後にの12月に「家族会議」の映画化時に行われた松竹の新人募集に千人の応募者の中から合格、(新聞広告を見た友人にすすめられて応募したとも、友人がいたずら半分に写真を送った後最終審査のために東京へ帰るとこれも合格したともされている)。
1936年1月1日に松竹に入社。
24歳の誕生日に「佐野周二」の芸名を貰った。
「大船撮影所1期生」として、同年の佐々木康監督の『Zメン青春突撃隊』で俳優デビュー。
立教大学の先輩上原謙とともに、幹部スター候補生 ……
佐野周二が亡くなってから、46年と101日が経過しました。(16903日)