無学祖元(むがくそげん)
僧・臨済宗[南宋]
(弘安9年9月3日示寂)
(ユリウス暦) 1286年 9月22日 死去享年61歳
無学祖元(むがく そげん)は、鎌倉時代の臨済宗の僧。
諡は仏光国師・円満常照国師。
号は子元。
来日して無学派(仏光派)の祖となる。
鎌倉の建長寺・円覚寺に兼住して日本の臨済宗に影響を与え、発展の基礎をつくった。
その指導法は懇切で、老婆禅と呼ばれ、多くの鎌倉武士の参禅を得た。
生涯=
宝慶2年(1226年)、中国南宋の慶元府鄞県の許家に生誕。
嘉熙元年(1237年)、兄の仲挙懐徳の命で臨安府浄慈寺の北礀居簡のもとで出家。
淳祐年間に径山寺の無準師範に参じ、その法を嗣ぐ。
その後、石渓心月や虚堂智愚・物初大観・環渓惟一らに歴参する。
景定3年(1262年)、臨安府東湖の白雲庵に移転。
景定4年(1263年)、師兄(すひん)の退耕徳寧が杭州の霊隠寺に住したので、これを助化して首座となった。
臨刃偈=
咸淳5年(1269年)、台州の真如寺に請ぜられて赴任したが、宋室の弱体は元軍の侵入を招いたので温州の雁蕩山能仁寺に避乱した。
徳祐元年(1275年)、元(蒙古)軍が南宋に侵入したとき、能仁寺に避難していた無学祖元は元軍に包囲されるが、「臨刃偈」(りんじんげ。
「臨剣の頌」とも)を詠み、元軍も黙って去ったと伝わる。