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村上正邦 氏(むらかみまさくに)

政治家[日本]

(かつては「参院のドン」と呼ばれた。)

2020年 9月10日 死去享年89歳

村上正邦 - ウィキペディアより引用

村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年〈昭和7年〉8月21日 - 2020年〈令和2年〉9月10日)は、日本の政治家。
福岡県嘉穂郡出身。
参議院議員(4期)、労働大臣、志帥会会長(初代)を歴任した。
在職中は参議院自民党において多大な影響力を持ち、「タカ派」「参院のドン」と呼ばれていた。
来歴[編集] 筑豊炭田[編集] 1932年、福岡県嘉穂郡に生まれる。
父・要蔵、母・タネヨの次男。
両親とも愛媛県西条市の出身であった。
のちに地元の支持者が調べたところによると、先祖は西条藩に仕えた村上四郎左衛門忠朝という人物で、さらにさかのぼると村上水軍に発しているという。
父・要蔵は遊び好きで財産を失い、故郷を追われるようにして筑豊炭田に移る。
父は「先き山(リーダー)、母は「後ろ向き」(助手)として炭鉱労働に従事した。
そうした中、炭鉱住宅で正邦が生まれる。
しかし要蔵の遊び癖は変わらず、夜逃げなどで筑豊炭田のあちこちを転々として過ごす。
戦後、田川郡添田町の三崎炭鉱の炭住から川崎町の定時制高校に通いながら、昼間は三崎炭鉱労働組合の事務所で給仕として働いた。
組合長の山本文男(のちの添田町長、全国町村会会長)の引きで測量課の職員として、三崎炭鉱の正式社員となる。
一方、組合運動も続け、代議員も勤める。
1951年(昭和26年)には組合の御用化に憤慨して書記長選挙に立候補するが、落選する。
そうした中、定時制高校の恩師の ……

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村上正邦さんが亡くなってから、3年と320日が経ちました。(1416日)